東日本大震災から10年目を迎えます。私たちの周りでは、この10年で次から次と災害が起こりました。その度に支援活動がおこなわれ、ボランティアが活動し「寄り添い」を実践してきました。今日も熊本球磨村では支援活動が継続されています。コロナ禍の状況のため、いまも泥出し作業が行われています。臨床宗教師の仲間たちが重機を動かし土木作業をしながらそこに生きる人々に寄り添っておられます。
3月8日~12日に、宮城県石巻・南三陸に行ってきます。10年目の今年、再び現場の苦しみに伊藤文雄牧師と共に身を置いてきます。9日は南三陸の海辺から防災センターへ宗教宗派を超えて追悼行脚をします。それぞれの宗教が自分たちの祈りを唱えながら歩きます。あの時、何もできず泣きながら歩いたことを思い出します。本当につらかった。死臭漂う中に立たされ、祈るしかなかった。宗教宗派など関係なく、ただひたすら雪の降る中、夢中で祈りながら歩きました。宗教者として痛み苦しみのど真ん中に身を置かされた出来事でした。「現場から逃げずに踏みとどまれ。苦しむ人々と共にいろ」。それしかできなかった。現場とのつながりが10年経ったいまもあります。
先々週、宮城石巻十三浜から生わかめ、メカブが送られてきました。生ワカメは今の季節のみです。早く食べないと悪くなる。それでも取れたてを送ってくださいました。もう8年目です。「復興したら一番にとれたワカメ送るっちゃね」との約束通り。今年もまた届きました。このワカメを皆さんに食べていただけることが幸いです。このつながりの原点を、ワカメを食べるたびに思い返します。それが「寄り添い」です。
あのとき現場の苦しみから逃げず、そこに必死に踏みとどまった。いやそれしかできなかった。祈りつつ現場の苦しみに身を置いて。十字架の主がそこにおられました。