東日本大震災から10年を迎えました。先週久しぶりに被災地訪問ができました。仮設支援で出会った被災者の方々、共に支援活動した仲間たちと11日を迎えました。この10年で様々な変化がありました。熊本では被災者にもなり、次々と起こる災害のたびに臨床宗教師の方々と支援活動、自立支援、カフェデモンク活動をしてきました。どの支援活動も宗教宗派を超えて「寄り添う」活動でした。
10年目の3.11。14:46。石巻の蛇田復興住宅でお坊さんたちとカフェデモンクの最中にその時を迎えました。時間が迫ってきて、「どの方角を見て黙祷するっぺか」と和尚さんが言われました。誰も何も答えられませんでした。和尚さんは「やっぱり津波が来た方にむかうべ」と言われました。言葉が出ない時間でした。サイレンの間中、皆で津波がやってきた方を向いて。まだ見つかってない家族、天に召された多くの家族、友達を思いながら黙祷しました。自分たちに与えられた試練、また寄り添いに心をむけ。サイレンが終わった時、みな号泣されていました。その涙には多くの思いが込められています。自分を振り返り何もできなかったことの痛みを覚えました。
いま被災地の海岸には高さ8mの防潮堤が、そこに生きている方々と海を分断する形でできています。分離壁のように。「自然と戦っちゃだめだ」「神様のされることに逆らってはだめだ」とおばあちゃんに教えられました。「防潮堤は地元の人の心をズタズタにしてしまった」「生まれた所がこんな風になるのを望んでない」という声も聞きました。国は次の災害を考えてのことなのでしょうが、心は置いていかれたと。
ルーテル教会救援はこの10年何をしてきただろう。石巻はもう終わったことなのだろうか。伊藤文雄牧師と渡波海岸で祈りつつ、10年を振り返りました。