ローマ書 5:5 希望はわたしたちを欺くことがありません。
パウロは「希望」ということを語ります。しかしこの希望は「苦難」「忍耐」「練達」といった事柄といっしょに語られています。パウロは「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」と語ります。神様から与えられた信仰によって必ず希望は、神様の愛によって与えられているものだから、いまは絶望や困難であっても欺くことはないというのです。この「希望」をどこに見いだせているかを問われています。
広島教会時代に出会った一人のピアニストがいます。平岡麻衣子さんです。麻衣子さんは音楽大学卒業後、ウィーン市立音楽院へ留学中に不慮の事故にあい、4ヶ月間意識不明に陥り奇跡的に意識を取り戻したのですが高次脳機能障がいがのこりました。しかし、もう一度ピアノを弾きたいという思いは、いつしか麻衣子さんの命を希望へと向かわせ、厳しいリハビリを乗り越えやっと左手のみで演奏することができるようになりました。そんな彼女をある方が紹介してくださり、教会の礼拝で昨年1年間、彼女とともに音楽特別礼拝を毎月企画したのです。はじめは左手だけの演奏でしたが、教会のオルガニストの先生との出会いからバッハを練習し、動かなかった右手も動くようになりました。
その彼女はいつも希望をもっています。カナダで行われる「ピアノパラリンピックに出る」といものでした。先週行われた大会に見事出場をはたし、なんと「芸術賞」を受賞したというのです。「もういちどピアノが弾きたい」という希望からはじまり、次々とそれをかなえていく。少し前のことを忘れていくという障がいのなかで、絶望と困難にあいながら希望を失わない彼女に勇気をいただいています。
神様はすべてご計画のなかで何かをなそうとしておられることを信じること。これが「希望」だと思います。必ず神様はよい道を歩ませて下さる。共にいてくださる。それを信じてそれぞれの希望のうちにいきていきましょう。
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