ヨハネ 1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
ヨハネによる福音書は、ナザレのイエスこそ神様の言葉が受肉した人であると宣言しています。また、神様を知るには、この神様の独り子であるイエスを知ることだと言います。ここでいう言とは「ロゴス」ということですが、言、命、光という3つのものが共に語られています。ロゴス(言)によってもたらされる救いの業に心をむける季節が待降節でもあります。
掃除のおばちゃんが教えてくれたことがあります。それは「言」についてでした。おばちゃんは毎朝1番電車で市ヶ谷センターにやってきます。今日の車掌さんのアナウンスで元気がでたというのです。とても興味があったので、どんな人が車掌さんかを最後尾まで見に行ったそうです。なぜ元気がでるか、その車掌さんの車内アナウンスは他の車掌さんとは違うというのです。一言に心がこもっていると。たとえば「毎回申し上げて申し訳ありませんが、車内での携帯電話の・・」とか、降車ドアの開く時に「元気なお帰りをお待ちしています」とか、一言そえるのだそうです。障がいをもっておられる方が乗られるときには必ず優しい言葉を一言そえるのだそうです。その一言に心がこもっているから元気をいただけると。
ヨハネによる福音書には「言の内に命があった」と書いてあります。私たちの語る言葉は、何気なく話しており、気にしていないと言葉が音に変わってしまい届かなくなってしまいます。言葉に命があるときにこそ、言が言として届けられることになります。イエス様は「言」としてこの世にこられました。そこに命があります。その命によって照らされた光が、クリスマスの光でもあります。