マタイ 20:16 後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。
イエス様は「ぶどう園の労働者」のたとえで、天の国の説明をされました。その中で、神様との関わりにおいては「先か後か」という時間的な順位は意味を待たないと言われました。むしろ逆転もあると言われたのです。すべては神様の御心によってなされることであり、何が神様の御心かを考える必要があると教えられたのです。神様の御心は人を救うということです。
朝のラジオで「今日は何の日」というのがあります。興味を持って聞いていると、今日は「1874年12月13日、双子の場合は、先に産まれた方を兄・姉、後から生まれた方を弟・妹とする」という太政官布告が出された日です。古くからの習慣では「先に腹に入った方が長上」という考え方があったために、「先に入った」は「お腹の奥のほうに居る」で「後から生まれる」という理屈で、後から生まれた方が長男(長女)と考えたようです。また、「お先にどうぞという心の大きさがある」ということで、後から出てきた方が長男(長女)としたという言い伝えもあります。しかし、どちらを上にするかという問題は、財産相続他にとって重要であるので、しっかりとした法律をさだめたのです。
旧約聖書でも「エソウとヤコブ」の長子権争いの問題など語られています。そこでも「先か後か」という時間的な順番ではなく、神様の御心にそっているかどうかです。私たちの生きている社会の中でも、人間的な考えからはじめるのではなく、神様はどのように見ておられるかを考える時を持ちたいと思います。