ルカ 15:4 見失った一匹を見つけ出すまで、探し回らないだろうか。
イエス様の有名なたとえ話です。私たちが神様を見失ってしまっても、神様はあきらめずに最後の一匹を見つけるまで「私」を探してくださるのです。「探し回らないだろうか」と、それが当然のように話されています。そのような神様の思いを感じます。
日本キリスト教連合会の会報に、教会の別帳会員の定義ということが書かれてありました。プロテスタントは「信徒が教会に関わらなくなった」というニュアンスに対し、カトリックは「手を尽くして探しても連絡のとれなかった信徒」となっています。考え方の違いがありますが、この違いは大きいと思います。それは信徒の問題とみるか、信徒に問題があるがそれをあきらめずに関わっていくのだということでしょうか。何らかの理由で別帳会員なった信徒をもう一度招くとき、やはり手をつくして探しまわることが大切だと思いました。
神様はいつでも探しておられます。それは、大きな愛に支えられた神様の思いです。今日も神様の大きな愛に支えられながら任せられた勤めを果たしましょう。