マタイ 26:70 ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。
イエス様がゲッセマネの園で捕えられた時、弟子たちはその場から逃げ去ってしまいました。ところが一番弟子のペトロはそっと近くにいて、イエス様を見届けようとしていました。ひっそりと見つからないように人々にまぎれて。しかし見つかってしまうのです。「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と。その言葉への返答が、あなたが「何を言っているか分からない」というものです。しかし、本当は「自分が何を言っているのか分からなかった」のです。
Rカニングハム元宣教師が召天されました。先生は中国地方、とくに広島で長く働いてくださいました。被爆60周年のときはすでに引退されてアメリカにおられましたが、どうしても広島の皆さんに伝えたいことがあるとアメリカから戻ってこられました。教会では先生の歓迎会がおこなわれたのですがその席上で、「わたしを赦してください。あのとき何を言っているのかわかりませんでした」と話し始められたのです。カニングハム先生は、あの8月6日沖縄におられました。そして原爆が炸裂した瞬間に「やったぞ!万歳!」と叫んで、アメリカ兵仲間と抱き合って喜んだのだと。その後帰国し宣教師となって日本にやってこられ、神様は自分を広島で宣教に派遣されたというのです。広島教会の現場で、幼稚園で、保育所で原爆と向き合いながらの宣教。原爆はいったい何だったのかを身をもって知ることになったのです。そのとき沖縄での事実をどうしても告げることができなかった先生は、それでも天に召される前に広島の皆さんに伝え、赦していただきたいと言われたのです。
あのとき「何をいっているか分からなかった」。でもいま分かる。しかしそのことが自分とキリスト結びつけ、かけがえのない関係にしている。いまは分かる。カニングハム先生の誠実な信仰を引き継いでいきたいと思っています。神様のなさることは導きの中に驚くばかりの恵みをくださるのです。