ヨハネ 3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
ファリサイ派の議員であったニコデモが、イエス様のもとにやってきます。イエス様の教えと存在が気になっていたのでしょう。しかし、2人のやり取りは「かみあい」ません。イエス様が言われることを理解できなかったようです。この最初で噛み合わなかった問答は最後までつづきました。
テレビのアンテナの調子がわるく、ラジオを聞いています。テレビと違って座って観る必要がなく、聞きながら別のことができます。そのラジオ放送を聞いて、最近面白いことに気がつきました。言葉のやりとりしか聞けずその人の状況は見えません。見えないから言葉に集中します。一般参加の放送ではインタビューがあります。ところがアナウンサーの質問に、きちんと答えられる人が少ないということです。「何を」聞かれているのか、それに対して「何を」答えればいいのかを点検してみる必要ありです。質問力、解答力という言葉があります。「何を」ということをよく考えなければならないと言えます。
ニコデモは、イエス様が言われていることの意味がわかりませんでした。み言葉を聞く力、質問する力の根底には信仰が必要だと思います。