1コリント 9:23 すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。
パウロの言葉で大好きなものがあります。「福音のためなら、わたしはどんなことでもします」というものです。この「どんなこと」の中に、どれだけ多くのことを入れることができるか、それが私の信仰の問題です。しかし、「福音に共にあずかる」という言葉にやる気を与えられます。その福音のために、自分はどんな風にでもなれるという奇跡が生まれます。
ダーウィンの「種の起源」の中に「強いものが生き残るのでも、頭が良いものが生き残るのでもない。適応力のあるものが生き残る」という言葉があります。この言葉を読んで「適応力」ということにハッとしました。神様のすべての宣教の業に私は「適応力」があるだろうか。神様が進まれることに、自分という自我のために適応していないことがないか。どんなことがあっても、神様を信頼することによって適応しているか。
私たちの信仰生活は、教会という交わりの中にあります。その教会の中で適応していますか。それだけでなく、教会から外へむかって宣教するとき、外の世界と適応していますか。これからは「適応力」のある教会が生き残っていくのでしょう。その中で自分という信仰者はどうでしょうか。それでは、この事務局は何に適応していくのでしょうか。それを考えながら今週をすごしてまいりましょう。