マルコ 12:42 一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。
エルサレムの神殿での話です。イエス様は、大勢の金持ちたちがたくさん献金する様子をみておられました。しかし、イエス様の目にとまったのは、一人の貧しいやもめが献金する様子でした。イエス様は目立たないやもめをほめ、彼女がだれよりもたくさん入れたと言われたのです。その理由は「皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」といわれました。イエス様は、ほんの小さな事をも見逃されなかったのです。
ある店長の話です。彼は、前日に料理が出るのが遅いというクレームをうけた時、広島教会朝礼拝で次のように話したそうです。「お客さんの頭の2通りの動きに注目してください。料理を食べておられるとき頭は上下に動きますが、店員を探しているときは左右に動きます。この左右に動く頭をみたら、一声かけてください」と。フロアサービスというのは、そこまで細かい配慮するということでしょう。客の立場でものを考えるということです。細かいとこまで配慮できるこの店長に少し驚かされました。それができるのも売り上げを上げるという目標があるからです。
イエス様は、貧しいやもめの小さなしぐさに目をとめられました。彼女をじっと見つめておられたのです。そして、彼女の中にある「すべてを神様に委ねる」信仰を見出されたのです。神様は私たちの小さな思いまでも知っていてくださいます。そして配慮してくださいます。貧しいやもめもまたそれを知っていたのです。神様にすべてをゆだねる信仰、それをイエス様も見逃すことはなさらなかったのです。私たちは神様の配慮の中で生きています。私たちを救うという確かなことのための配慮です。
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