ヨハネ 7:52 あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。
イエス様に敵対するファリサイ派の人々は、イエス様を逮捕するように下役たちを遣いにだしました。群衆がイエス様の業と教えに感動し、イエス様を信じる者が多数でてきたからです。その間に何回もイエス様のことで議論が繰り返されています。そしていつも議論は最初に戻るのです。「メシア(救い主)はガリラヤからでるだろうか」と。ファリサイ派の人々はこの繰り返しに気がつきませんでした。
会議の目的は、創造的な結論を導くことです。しかし、それをひっくり返してしまう参加者をよくみかけます。組織改革をするという会議にでたことがあります。約3時間あまりを議論についやしたあとのことでした。これで結論にしようと司会者がまとめようしたとき、ある参加者が手をあげました。そして次のように発言したのです。「そもそも議論の前提について疑問があるのですが・・・」と。つまり組織改革をしなければならないかが疑問だと。このままじゃだめなのかというのです。これでいままで積み上げてきた議論は振り出しに戻ってしまいました。これは会議ルールの明らかな違反です。採決の段階で議論を振り出しに戻すようなことはしてはならないのです。
「ガリラヤからは預言者はでないことがわかる」。それではイエス様の行われた業、教えはいったい何かということになります。新しいことが始まっていても、古い考えにとらわれていると真実を見失うこともあります。信仰も成長していきます。振り出しに戻らずたえず新しく創造されていく信仰を考えてみたいものです。