2コリント 9:6 惜しんでわずかしか種をまかない者は、刈り入れもわずかで、惜しまずに豊かにまく人は、刈り入れも豊かです。
今日のパウロの言葉は、献金のためのお願いです。お願いというより、無茶な要求を平気でしているようにも取れます。約束の通りに用意をしてもらうこと、そのために「渋りながらではなく、惜しまずに」という言葉を付け加えています。コリントの人々はパウロのその願いに応えています。
教会では、会員全員が収入の24分の1献金を徹底したら、今の予算の3倍以上になるはずです。半数以上の教会が事業収入に頼らないで教会運営ができると思われます。むしろその事業収入まで一般会計につぎ込んで、教会の維持、存続、返済、そして牧師の自給金に8割もあてなくてもよくなります。それ以上に、伝道のための多く計画が実行できるのです。しかし、いまの教会の現状では、献金としてささげるのをためらっておられるのではと思います。神様からいただいた恵みの応答として、それをすべて献げることができる教会なのか?この牧師先生と共に宣教していくのだという覚悟ができない、という問題もあります。
いま全国の教会の過半数は、幼稚園、保育所、バザ-、駐車場、貸し教室、塾とさまざまな事業収入によって成り立っています。もし事業収入がなくなったら教会の存続まで危ぶまれると思われています。本当にそうでしょうか。神様からあふれる恵みをいただいているのに、神様の教会のために献げることができないのはどうしてでしょうか。いちど牧師である私自身も振り返って考えてみる必要があります。目的のはっきりとした宣教や奉仕には、有り余るほどの献金が集まってきます。惜しんで献金しないのではないのです。