マタイ 7:5 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。
イエス様の山上の説教の中で語られた言葉です。「人を裁くな」という言葉のあとに続いています。イエス様は、人が人を裁くとき自分の姿はどうか、と問われます。私たちは自分自身が見えない存在です。自分の目の中に余計な「モノ」を持っています。しかし、それがわかりません。他人の「モノ」ばかり目に付いてしまいます。まず自分の余計な「モノ」をとりのぞくべきであるといえます。
昨日は利休七則の一つを話しましたが、もう一つ心にのこる言葉があります。それは「花は野にあるように」です。何回よんでも深い言葉です。野に「あるがまま」ではなく、「あるように」というところに感銘をうけます。これは野に花が咲いている状態がいまここにあり、それを感じさせるように生けることです。つまり野に花がさいていることを再現しなさというのではありません。たった一輪の花でさえも、野に咲いているように表現できるならば「あるように」ができます。ただそのように生けるには、余計な「モノ」を取り除かねばなりません。
イエス様は、私たちの「あるように」を知っておられます。そのままで生かされている喜びを表現してくださるのです。罪赦され、愛されている私たちがそこにいるという表現です。余計な考えを捨て、自分自身を省みて「あるように」を考えながらすごしましょう。