1コリント 2446 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
パウロは「キリストにあって一つ」ということを強調しています。「体は一つでも、多くの部分からなり」というとき、それぞれの個性や働きはいろいろあっていいが、中心はひとつであるというのです。その中心はキリストです。ここをきちんと押さえておくことが求められています。何のための個性、働きであるか。すべてキリストの業のためです。キリストにあってこそ「共に」が生きるのです。
事務局体制の変更にともない、3つに分かれていた部屋を1つにする工事が行われます。最終的には8月に完成予定です。今回の体制変更のテーマは「共に」です。これまで別々に働いていた私たちが、「共に」集まるということです。部屋のレイアウトを考えるとき、中心にテーブルを置き、そこに全員が向くように設定しました。テーブルの上に十字架と聖書を置きます。この配置は、いつでもすぐに中心に集まって協議ができるということです。しかしもっと大切なことは、キリストがこの事務局の中心であるということです。キリストを中心に共にあるということです。
私たちの働きは事務関係が多いですが、これもキリストを中心とした働きです。全国の教会・牧師・信徒の方々から委ねられた働きをしています。この働きにもキリストが中心にいてくださって成り立っています。みなさんのご協力をお願いいたします。