マルコ 3:4 「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」
人々は安息日の律法「どんな仕事もしてはならない」に対して、イエス様がどうされるかをじっとみていました。ところがイエス様は、普段とかわりなく安息日に会堂に入り、手の萎えた人を癒されました。どうされる?でもなく、イエス様はすぐにその人に目をとめ、癒されたのです。どうするかではなく、その人にとってどうであるかに目をとめられるのです。むしろ「どうするか」とみていた人々に対して「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」と問われました。苦しみ悩み、癒しを求めている人にとって何が大切なことかと問われたのです。
P.F.ドラッカー著「現代の経営」の中に次のような話が書いてありました。「ブライアン看護士の原則」といものが医療現場にあるという話です。アメリカにブライアンという女性の看護士がいました。彼女は病院での治療方針などを決めるときや、自分の行動を考えるときにいつも言う言葉があったそうです。それは「果たしてそれは患者のために、我々のなしうる最善の方法ですか?」と。これがいつの間にか病院の基本原則となったということです。しかし、これをいざやろうと思うと、大変だと思います。つねに相手のことを考えて行動することを基本原則とすることでし、たえず自分に問うていないとできないからです。
イエス様が問われた「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」をもう一度聞きいています。今日は、私たち事務局の働きはどこを基本原則としているか考えましょう。それはもちろん全国の教会、信徒、求道者、牧師と牧師家族のために、我々のないしうる最善の方法かということです。