フィリピ 3:9 キリストの内にいる者と認められるためです。
まだ子どもだった頃、父のあぐらの中に座ることが大好きでした。それは口では表せない安心感があったのです。結婚して子どもを与えられ、私のあぐらの中にいる我が子をみる時、不思議な喜びを感じていました。自分のあぐらの中におさまっている子どもが天使のように見えるのです。
パウロは「キリストの内にいる者」という表現をしています。キリストが内にいる私ではありません。よくキリストを内に持つという表現をしますが、パウロにとっては逆のことのようです。すべてを捨てることによってキリストを得、それだけでなくキリストの内にある者になる。
私があぐらの中で持った安心感と、あぐらに抱いたときの喜びは、パウロとイエス様のような関係かもしれません。すべてを捧げる信頼感と、すべてを包みこむ愛です。イエス様と私にその一致さえあれば他に何がいるのでしょうか。何もいりません。