2年に1度の全国教会総会も無事に終わりました。会場はいつも新大久保の東京教会です。この教会は20年前、私が牧師として初めて赴任した教会です。あの頃は「蔦のからまる教会」として親しまれ、幼稚園もありました。毎朝4時起きで周辺の清掃、蔦の整理、ニワトリのえさやりが日課でした。その東京教会は2012年に宣教100年を迎えます。若い関野牧師を中心に、新しい一歩を踏み出そうとしていることがよくわかりました。
さて総会最中に関野牧師が「先生、素晴らしいことがおこった」というのです。私と関野先生によって奇跡がおこったと。それは先月、2人の青年女性が堅信式を受けたというのです。それだけでは奇跡とならないのですが、なんとその青年たちに洗礼を授けたのは私なのです。2人とも何も覚えてないと思います。生まれたばかりの赤ちゃんでしたから。私が洗礼を授け、関野牧師が堅信式をして成人のキリスト者が完成した。これは神様の導きによる大きな奇跡です。幼子の信仰が東京教会の中でまもられ、家族ともに成長し、育まれたこと。洗礼式の時に1年しか東京教会にいなかった牧師の働きが、時を経て若い牧師によってまた新しい一歩を踏み出した。大きな喜びでした。
実はあの最初の1年に、8名の洗礼式をしています。最初の一人だけは記憶がありました。幼稚園の先生でしたし、いまでも年賀状のやりとりはかすかに続いています。しかしあとの7名は、教籍簿をみせていただき記憶をたどらねばなりませんでした。そう思うと、神様が教会をとおして育てられるのだなと思ったのです。すべては教会につながっているから、育てられ、成長し、一人のキリスト者が誕生するのだと。
総会が無事に終わったことも嬉しいことでした。しかし、それを越えて関野先生に教えていただいた堅信式のことが私への祝福だったと感謝しました。牧師生活まだ23年ですが、100回をこえる洗礼式を与えられました。その方々のことを覚えて祈っていきます。