ヨハネ 8:15 あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。
イエス様の有名な御言葉「わたしは世の光である」に始まるファリサイ派との問答の一節です。「肉に従って裁く」という言葉に心を突かれる思いです。いつの間にか自分の罪は置いて、人の罪ばかりをあげつらうファリサイ派の人々に対して言われました。イエス様が「わたしはだれをも裁かない」といわれている御言葉に、強さと平安をいただく思いです。裁きは人を陥れるためでなく、神様を証するためにあるのだといわれているようです。
自分をゆっくり省みてみます。私は何人の人を裁いているでしょうか。いや、今日一日だけでも何人の人を裁いているだろうか。その数は測り知れません。そんな時、人から見れば「あなたはいつ神様になったの」と言われてもしかたありません。「人を裁く」とはいったい何でしょうか。その時の自分は神様のまえでいったい何者でしょうか。あたかも神様の代理人のように振る舞っている自分が恥ずかしくなってきます。
イエス様は「わたしは誰をも裁かない」といわれました。この御言葉にショックをうけます。イエス様ですら裁かれないのに、この私が兄弟姉妹を裁いているのですから。私達は人を裁くことより、イエス様の御言葉を求めたいと思います。それぞれが与えられているイエス様の御言葉によって、赦しあい、慰めあいたいと望みます。裁きは神様がされることですから、私たちは愛し合うことしかないのです。(本日は広島出張のため音声朝礼はお休みです。)