2コリント 10:13 わたしたちは限度を越えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇るのです。
今日のパウロの言葉は、とても愉快な言葉です。私達は自分のことを誇るということは苦手です。「謙遜」や「謙虚」が美徳と思われているからです。しかし、そんな中でも、やることをやった時には誇りたくなります。誰かに認めてもらいたくなります。無視されることはつらいことです。
マザー・テレサは「愛の反対は無関心」という言葉を遺しています。その人に無関心ということは、その人を自分の中で殺していることになります。その人に関心をもち、認めるという行為。それは受け入れるということだと言えます。神さまから受け入れられ、認められている私たちはそこに愛をみるのです。
パウロは、人の「誇り」をすべて排除していません。人の「誇り」の危うさ、罪に陥りやすさを十分に知っています。そこで、「神が割り当ててくださった範囲内で誇る」と言っています。「誇り」も神様が割り当てた範囲があります。「これもやった、あれもやった、私がやった」という誇りではなく、「主がさせてくださった」と誇りたいものです。『私』のかわりに『神さま』を主語にして誇るのが大切なことです。すべてのことは、神様がさせてくださるからです。
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