マルコ 14:27 イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまずく」。
イエス様は十字架におかかりになる前に、弟子たち全員に「あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われました。そこでペトロの離反を予告されます。ペトロは「みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と断言します。しかし、つまずくことは悪いことでしょうか。イエス様の十字架につまずくとき、私たちには神様の深い愛に気づかせていただきます。ペトロもつまずいてそのことに気づきました。
昨日、あるコピーライターの方とお会いしました。彼から「お寺・神社・教会の役目は何か。どのようなコンセプトが考えられるか」と聞かれました。そして「何か『気づき』を与えてほしですよね」と言われました。教会にいくと、自分の人生で「何か気づく」。それを与える場であってほしいと。彼はあるお寺で「聖誕記念お札」というものを提案したそうです。参拝される方が生まれて何日目にそこに来たかというものです。仏とご縁を結ぶまで、生きてきた日数をお札に書いて渡すというものです。そう言われると自分も今日は生まれて何日目にあたるかと。実は18215日目です。神さまに守られてきた日数です。
イエス様は弟子たちに「あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われました。「つまずく」というのは悪いことではなく、そこで「気づく」ことを意味します。イエス様はいったい何者か、どんなお方かを知るうえでつまずきも必要なのです。人生の途中でふと立ち止まって振り返る時間。それが「気づき」の時間です。そんな「気づき」があたえられる教会であればと思います。
<音声朝礼は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>
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