まさか自分が?と思う日が今週やってきます。31日で50歳になるのです。自分ではまだ30歳代位と思っていましたが、どう考えても50歳になります。「時間と月日は早いですよ」と何人の人にいわれてきたことでしょうか。自分がこの年になって、その速度の速さに唖然としています。
先日、熊本の母に電話して聞いてみたいことがありました。それは父が天に召されたのは何歳だったのかということです。たぶんその年齢に近づいているのではとおもったのです。すると母の答えは「56歳だったと。私が46歳だった」というものでした。一瞬息をのんでしまいました。父が天に召されたのは薄々わかっていたのですが、母はあの時46歳だったとは。その年齢を越えている自分が、もしいま家族が天に召されたらどうだろうかと思ったのです。あれから母は一人でずっと私たち兄弟を支え、牧師になるまでの最後の備えまで準備してくれたのだと思いました。いまこうして牧師として働いていられる背景に、神様の導きとともに、母の大きな支えと守りがあったのです。50歳にしてやっとそのことに触れることができました。
5月には母に「オーバーアマガウの受難劇とドイツ旅行」をプレゼントしました。半分は一緒に旅行し、半分はパレスチナ渡航のために妻にまかせてのドイツ旅行でした。たまたま人数の加減で母を誘っていくことになったのですが、いま思えば神様のご配慮だったのだと感謝しています。
自分が牧師として立つことができる背景には、神様によってつながっている数多くの人たちの祈りと愛があります。そのことが50歳を目前にしたいま教えられました。新しい旅立ちとしての人生の後半がスタートします。牧師現役生活もあと20年となりました。御心にそって悔いのない牧師人生を歩んでまいります。
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