今日は「宗教改革記念日」の礼拝でした。全国のルーテル教会では「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」を中心とした礼拝が守られていることでしょう。これまでも、この日はとても大切な主日として礼拝を守ってきました。ルターを記念するということではなく、現代における「宗教改革」とは何かを考えながら、この日の礼拝を組み立ててきました。
今年はどうか。じつはローマ・カトリック教会の礼拝に出席しました。ルーテル教会で洗礼を受け、はじめてのことです。ルーテル教会にとって「この日こそ」と思う日にカトリックのミサに出てみたのです。たまたま広島に帰っていましたので、広島平和大聖堂にいってきました。今日の礼拝も300名を超える人々が集っておられました。また教会の外ではバザーが行われていました。雨の日曜日でしたが、盛り上がっていたようです。(といってもバザーは失礼しましたが)ただ、とても不思議な感覚を覚えました。改めて「宗教改革」と言わなくても、そこでは信仰のみが語られ、聖さん式があり、楽しい礼拝が行われていたのですから。
「とても不思議な感覚」というのは何かなと思います。自分はルーテル教会の信者である。ルターが教えてくれた信仰義認に立って生きている。ルーテル教会で生きている。と思いながら、ローマ・カトリック教会のミサでも同じ信仰の恵みをうけている。この日「ルターは」と改めて語ることがなくてもいいんじゃないか。毎週がルターなのだからと。でも、ここには毎週300名以上の方々がつどっておられる。ルーテル教会はどうだろうか。人数ではないという声はどこから聞こえてくるのだろうかと。
現在は自由に、いろいろな教派の礼拝に出席させていただいています。改めてルーテル教会を眺めてみることができます。ルーテルのよさ、ルーテルの困難さ。いままで自分がルーテル教会の中だけで生きてきたことを振り返り、次なる世代のルーテル教会を作り上げていきたいと思います。来年は新鮮な気持ちで「宗教改革記念日」をルーテル教会で迎えていると思います。