詩篇 34篇10節 主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。
ダビデがアビメレクの前で狂気を装った故事に基づいて歌われた讃美です。苦難からの救いを感謝する歌でもあります。その神様は「貧しい人」「主を畏れる人」「御もとに身をよせる人」「主の聖なる人々」「主を求めるひと」の傍らにおられると歌っています。
神様がたくさん御用に用いてくださって、出張が多くなった時期がありました。毎週2,3の出張がありました。その頃、自分の中で決めていたことがあります。それは新幹線に乗るとき、ある場所を通り過ぎるまで祈ることにしていました。いまその時の祈りを思い出しています。何を自分は祈っていたのかを点検をしてみました。留守中の教会のこと、地域のこと、教会に集っている方々のこと、家族のこと、そしてこれからの働きのことなど。その祈りの背景には、自分がそこにいない時の、事故や怪我や災難などを恐れていたのでしょう。いつもイエス様が一緒にいてくださると知っていても恐れていたのでした。
私たちは、いつも物事や人を恐れています。あれが起こったらどうしよう。泥棒がはいったらどうしよう。すべて先回りの不安から祈っているように思えます。「主を畏れ敬え」。恐れではなく畏れです。私たちは「おそれる」ことを取り違えているようです。「神様にすべてをおまかせいたします」という祈りがでてきたら本物です。主を畏れる人は何も欠けることがないのですから。