ヨハネ 19:6 あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見出せない。
ピラトはイエス様を尋問しますが、何が罪なのかりかいできませでした。ですからイエス様を助け出そうとしています。しかし人々の殺意はぬぐえそうもありませんでした。ピラトは無罪のイエス様を処刑することは避けたかったのです。しかし群衆「十字架につけろ」の声に負けてしまったのです。
あるとき、子どもたちに質問をしました。「イエス様はどうして殺されねばならなかったのでしょう」と。わりと真剣に考えてでた結論は「何か悪いことをしたんじゃない」でした。誰に対して悪いことをしたのでしょうか。イエス様の周辺にいたファリサイ派や律法学者だったならば、何が悪かったかよく理解できたことでしょう。しかし、ピラトでさえイエス様の中に罪をみいだせないでいたのです。
この何が罪かわからない出来事が、十字架の奇跡だと言えます。聖書をよく読んでみると、神様はイエス様を十字架につけるために、すべての舞台設定をされたのだといえます。それは私たちを罪から救うためでした。何か悪いことをしたのではないか、と思わせながら実は神様の意志を、救いを全うされたのでした。人間はそのことに気がつかなかったのです。