物語を書いて完成するまでには、寝かせる時間が必要だといわれます。最初はアイデアがわき、ノートにメモを書きつけることから始めます。何でもいいから思いつくことを書いていくのです。そしてしばらく寝かす。次にそのメモから物語のストーリーをまとめていき、ある程度まとまめます。そしてまた寝かせる。数日後に読み返して、余分なことば言い回しなどを添削して、また寝かせる。こうやって書いていくと、いつできるのだろうと思いますが、最終的には「もうこれで諦めた」という決断が来たときです。
今回「ガラスの天使」の再執筆をはじめました。かれこれ1年も寝かせてある文章です。一度書き上げていたのですが、これを絵本にしようと思い、文字数を極端に少なくしました。しかし途中で絵本でいいのだろうか、内容的には小学4年位で理解できる本でいいのではないか。童話風にまとめてみたらどうかと迷ったのです。それで1年寝かしてみました。
この作業はとても苦しくも楽しいものでした。ある文章を一気に3分の1まで縮める。それからまた増やしていくのです。私としては内容のエッセンスを極端まで絞り、再度そこに肉付けをする作業となったのです。その作業工程で自分が何を伝えたいかがはっきりしたのです。もう少しで完成です。これに絵をつけて、少し大人の童話絵本にしたいと思います。
この作業をとおして、自分の生き方や、牧師としての在り方の点検もさせていただきました。み言葉にたいして多くのもので余計な服をたくさん着せてはないだろうかということです。本当にある中心のシンプルなみ言葉を見失ってはいないかと。いちど全部をはぎ取ってみたら、いったいどんなシンプルなみ言葉がそこにあるだろうかと思うのです。いまはアドベント・待降節です。今日の福音書には洗礼者ヨハネが登場します。彼が伝えたこともシンプルなことでした。「悔い改めよ」それだけでした。