あけましておめでとうございます。2011年もよろしくお願いします!
50歳になって初めての正月を迎えています。なんだか不思議な感じです。鏡をみても、自分が50歳だなんて信じられません。人生の節目である50歳ですが、本人の意識とは別に、淡々と過ぎて行くことに焦りと、諦めさえ感じます。この歳になりふと立ち止まれば、神様の恵みと祝福がいたるところに見える50歳でもあります。生かされてきたという実感はわいてくるのです。
「神様のクレヨン1」を自費出版して20年になります。初期のクレヨンでは、年末年始になると書いてきた句がありました。そういえば最近書かなくなったなあ~とフト思い出しました。一休さんの句です。
有漏路より 無漏路にかえる 一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け
50歳になってこの句を読むと、その深みが感じられてみます。どうやったら無漏路に帰れるのだろうかと。たぶん持ちすぎているものを捨てて行くことでしょう。50年の生涯の中で、持ちすぎてしまったもの、しがみついて離さないものを捨てて行くことだと思います。そのなかで、捨てられない神様から与えられた働きを考えたのです。私の人生で最も大切で捨てられないものはなんだろうかと。あれがほしい、これがほしいでもなく。あれがしたい、これがしたいでもなく。残りの20年の最後の日に残っていなければならないものは何かと。つまり牧師として何を最後まで捨ててはならないか。立野というのはこんな牧師だったと言われるものは何かと。
お金にしがみいている人もいます。地位や名誉を守っている人もいます。自分がやってきた業績をいつまでも捨てられない人もいます。それでは自分はどうか。50歳の節目に立って、有漏を捨て去っていくことを考えています。そう考えると、最後まで自分に残っていてほしいのは「神さまのみ言葉」のみなのです。今年はどんなしがみつきから解放されるでしょうか。最後を見据えての人生が始まります。