マタイ 4:10 イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」
今日は節分です。節分とは本来、季節の移り変わる時の意味で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していました。特に立春が1年の初めと考えられることから次第に、「節分」といえば春の節分を指すものとなりました。立春を新年と考えれば、節分は大晦日にあたり、前年の邪気を祓うという意味をこめて、追儺(ついな)の行事が行われていたわけで、その一つが「豆まき」です。追儺とは悪鬼・疫癘(えきれい)を追い払う行事のことで、平安時代、陰陽師たちにより宮中において大晦日盛大に行われ、その後、諸国の社寺でも行われるようになった。古く中国に始まり、日本へ伝わったといわれています。(語源由来辞典より抜粋)
幼稚園、保育所でも今日は豆まきがおこなわれることでしょう。キリスト教の園でも季節行事の一つとなっています。私も教会現場にいたときは、豆まきに参加をしていました。大抵は若い先生たちが鬼の役をやっていました。先生たちも毎年よく考えて「鬼」になっておられ、あまりリアルだと子どもたちが本当に怖がって泣いていました。また、あまり優しすぎると、こどもたちからバカにされていました。しかし、最近の絵本などを見ると、鬼も結果的にはよい存在として扱われています。結構、心を入れ替える鬼が多いのです。そう思うと、鬼の存在とは何か?鬼とは?を子どもたちにどのように伝えているのかと疑問になります。
鬼とサタンは違う存在ですが、あえて節分を話題にしてみます。イエス様はサタンの誘惑に対して、すべて神様のみ言葉で退けられました。問題はサタンの誘惑に対してどうするかです。誘惑のなかで道を間違わないためには、神様のみ言葉に頼るしかないのです。神様の言葉によって立ち、神様の言葉によって守られる。どのような誘惑の中にあっても「神様はこのように言われる」という信仰が大切です。
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