家族と住むことになって、少し心も時間も余裕ができるようになります。家族が上京するのは4月なのですが、いまからちょっと楽しみにしています。そこで何かを始めたくなりました。新しいこと始めてもよいのですが、今回は「手作りパンつくり」を再開することにしました。
いざ再開となると、道具をあつめなければなりません。一度パン作りは封印しましたから、まずは散らばっている道具を集めなければなりません。大きなボール、スキッパー、温度計、計量カップ、秤。だんだんウキウキしてきました。もうそこに焼き立ての香りがしてくるようです。さて、パン作りの再開を一番喜んでくれたのは娘たちでした。「やった~あのパンが食べられる」「アンパンもつくる?」「よかった~」と。こんなに喜んでくれるとは思いませんでした。
あれは、牧師になって2年目の任地・徳山でのことでした。ある日、教会員の男性から手作りパンをいただきました。その時です。神学生時代にアルバイトしていたパン屋での出来事を思い出したのです。神学生時代の一番苦しいときにパンとの出会いがあったのです。神学校から何回も脱走していたとき、いつもそばにはパンがありました。その香りと共に、あの「あったかいパン」がよみがえったのです。牧師になるのをあきらめようかとパンを丸めていたこと。いや神様は待っておられると信じながら成形していたこと。命のパンって何かなと焼き立てのパンを噛みしめていたこと。私にとってパンは、苦しみ、悲しみ、悩み、不安と共にあったのです。それ以上に神様が共にいてくださったことの強い記憶なのです。
4月から「パンづくり」を再開します。また神様が共にいて下さることを思い起こす時が与えられます。パンは不思議です。イエス様とパンの関わりも言葉もたくさんあります。「わたしが与えるパン」というみ言葉がいつも聞こえてきます。イエス様が与えてくださるパン。どんなパンでしょうか。それを思いながら心をこめてパンづくりを再開します。