仙台に派遣されて4日、一時帰京しました。豊中教会での復活日礼拝に奉仕するためです。土曜日に仙台から東京に帰り、日曜日の朝はやく新幹線で大阪へ、とんぼ返りして深夜バスで仙台です。ハードスケジュールなのですが、用いられるだけで感謝です。
豊中教会の礼拝では、東日本大震災での救援活動についても話しました。阪神淡路大震災を経験された方々を前に、今回の地震について話すことは勇気がいることでした。東北と阪神は離れていても、この大災害において結ばれているのだなと思いました。阪神淡路大震災から復活した土地で、東北も再び復興いや新しく復活することをいのるばかりです。
説教のなかで、一人の青年の話をしました。彼女は毎日毎日ボランティア活動に参加しています。名取市、多賀城市、山元町そして南相馬市(ここは原発に近く被ばく覚悟でボランティアをしています)彼女の後ろ姿に、神様の大きな御心を見る思いでした。あるとき食事をしたときに彼女が祈りました。「神様。私の友達も津波で流されまだみつかっていません。私は今日も命が与えられています。どうか友達が復活の命にであいますように」と。彼女は必死で友達を探しているのかもしれません。泥よけ廃材の整理、重労働です。しかし、彼女は毎日でかけていくのです。復活の命に出会うためにでかけるマリアのように。
また仙台にもどります。石巻、東松島にルーテル支援センターの働きは続けられます。まだ長い期間を必要とするでしょう。それでも辛抱強く続けてまります。絶望の中で復活の命にであった弟子たちのように。いつか神様が与えてくださる命を信じて。