広島女学院大学の学校協力会総会が14日に行われました。会長という任務をいただいて4年目となります。はじめは何をしてよいか全く分からず、年1回の役員会と総会に出席しているだけでした。しかし、せっかく会長の任をあたえられているのだからと・・・いつもの「何かやりたい」がムクムクと。それで3年目にしてやっと協力会としての動きをはじめました。すでに予算が決められていたにもかかわらずです。学生と保護者への伝道コンサート、学生自治会との対話、学生からのニード調査、あやめ祭への追加支援等々。始め出すといろいろと出てくるものです。学長先生も新しく就任されたということで、一緒に何かやっていきましょうと励まされています。
さて、総会の招集者は私ですが、なんと私の講演の時間が設けられました。自分が招集して、自分が講演するのもなんだかおかしいのですが。その講演は「東日本大震災・被災地の中に立って」というものです。震災後早い時期に宮城県の被災地に入らせていただき活動してきました。被災地の中で出会ったこと、考えたこと、支援について、ケアについてなどを自由に話す時間を用意してくださったのです。それならば話すことはたくさんあると、講演を受けさせていただいたのです。
東北と広島は距離的にも離れていますし、新聞・テレビで皆さん何回もご覧になったり、聞かれたことがたくさんあると思います。しかし、現場でしか分からないこともたくさんあります。人々の暖かさ、忍耐強さ、復興へ向かいそれを乗り越えて新しい社会を作りだそうとしておられること。人々の絆。「がんばっぺ」。
広島女学院大学の学生、同窓会は義援金を集め、被災地に届けようとされています。その義援金の全てを私に託されました。支援先を探す役割を果たさねばなりません。多額の義援金をどこにおくるか。重い責任がありますが、それは福島だと考えています。原爆の放射能で苦しみそれを乗り越えてきた広島女学院は、福島の原発による放射線被害を共に苦しみ、共に乗り越えることが使命のように思います。すでに絆は結ばれようとしています。「何かやりたい」がまた始まりました。