創世 11:8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。
旧約聖書の中で有名な「バベルの塔」の話です。ノアの洪水のあと東の方から移動してきた人々は「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と、塔のある町を建てました。これがバベルの塔の話です。神様はこの行いの中に、神との境界線を破り、自分たちを神としようとする人間の傲慢をみておられます。ところが神様は、再び洪水をおこして人間を滅ぼすことはなさいませんでした。そのかわり制限を加えられました。言葉の混乱(バベル)と人々の拡散でした。
よく聞く言葉に「赤信号、みんなで渡ればこわくない」というのがあります。そのようなことは笑い話として扱われますが、結構同じことをしていることに気がつきます。私たちは「ひとり」が「みんな」になったとき、より傲慢になっていくようです。その「みんな」が大勢の人数ではなく、2,3人であることが多いようです。「みんなが、みんなが」と言う時は、自分勝手にやりたいということです。神様の目からみた自分をいつも考えておかなければ人は傲慢になっていくものです。
神様はバベルの塔の建設に、人間が神様になろうとする傲慢をみられました。聖書は「主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた」と記されています。散らされた民が一人になって自分を振り返る時をもつこと。そこからまた新しい人生がはじまるのだと思います。
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