今日はペンテコステです。教会の誕生日でもあります。そして今日は東京教会に招かれ説教奉仕をしてきました。東京教会はペンテコステ礼拝で薔薇が降ることで有名になっています。深紅の薔薇の花びらが、子どもたちや牧師たちによって礼拝堂いっぱいにまかれた時、聖霊を凄く感じることができました。過去最高の200名以上の方々が礼拝に参加されたようです。
私は説教の中で、被災地の現状を画像で見せながら話をしました。このすべてがなくなってしまった現状の中にイエス様を見出すか。聖霊の姿をみつけることができるかと問いかけました。十字架のあと弟子たちの心の中も、いま被災地の状況と同じではないか。すべてが奪い去られ、生活も仕事もなくなり、希望さえも奪い取られた。自分たちを一番愛してくださったイエス様をなくしてしまった。こんな状態のどこに神様を見いだせるか。
仮設住宅に住む方は教えてくださいました。「私たちは動物になった」と。日に3回決まって与えられる食事をたべ、なにもしていないうちに動物になってしまったといわれるのです。人間であるために、何かを始めなけらば。体を動かしてもっと厳しい状態にある人のために働かないと、私たちは動物のままだと言われたのです。だから今一度立ちあがって再生、復興の道を歩み始められました。
聖霊は常に与えられています。それを信じて受け取っているでしょうか。そして受け取ったままにしてはいないでしょうか。聖霊は受け取っただkでは働きません。それに押し出されて苦しむ人、悩む人のとなりびととなったときに働くのです。与えられ続けると動物になってしまう。その言葉の意味の深さを、今日のペンテコステ礼拝で感じました。与えられた聖霊を神様の業のために用いていきたいものです。