被災地の中にいると、被災地が当たり前の状況にみえてきます。津波で破壊された家を、さもあたりまえのように見て、取り過ぎて行く自分に気がつくことがあります。しかし、被災者の方の話を聞いて被災地にいくと急に現実にある衝撃に打ちのめされるのです。
宮戸西部漁協の支所長である「せっちゃん」を石巻に連れて行く運転のボランティアをしました。車中でいろんな話をしてくださいました。「何もなくなっちゃんだよね~」と言う彼女の寂しそうな声に、答えることもできずに運転していました。全壊地区を通り抜けようとしたときでした。せっちゃんが「ここに家があったんだよ~」「ぜ~んぶ流されちゃったんだよ」「家建てて4年だったちゃ」と教えて下さいました。その現場に車を止め、一緒に土台だけ残った場所を見た時、涙がどんどん出てきて止まらなくなりました。自分の家ではないのだけれど、津波被害の恐ろしさ、厳しさ、冷酷さ。そしてそれを受け止めなければならないせっちゃんの気持ちを思うと、どうしても涙がでてきたのです。あの日携帯電話を家に忘れたそうですが、家はなくなっても電話は着信するというのです。10日かかって家を探しにいったところ、海の真ん中に二階だけが1軒だけ浮いていたそうです。その画像を見せていただきました。
でも、せっちゃんは立ちあがろうとしています。宮戸西部漁協の支所長として、浜に元気を取り戻すためにあえて負債覚悟で海苔工場の再建を始めたのです。必ずもう一度海苔を復活させ、全国の皆さんに東松島の海苔を食べてほしいと言われました。そのお手伝いのためにヘドロがあがった海苔工場の清掃ボランティアをしました。
私たちができることなど、たったわずかなことだと思います。一緒に涙を流すことしかできないかもしれません。でも、共に寄り添っていくしかないのです。イエス様が私たちの悲しみ、痛みと寄り添っていてくださるように、私たちも寄り添っていくしかないのです。そこにイエス様の存在を感じながら毎日過ごしています。