4月に上京した家族と暮らしはじめて3ヶ月がたちました。単身赴任生活3年、やっとそこから解放されたと思っていました。ところが東日本大震災が起こり、仙台への救援活動がはじまったのです。また家族からにげるように仙台センターでの生活が始まりました。とはいうものの、家族が近くにいるというのはとても安心して過ごせるということだとわかりました。
単身赴任の3年は、身のまわりのことから食事まですべて自分一人でやっていました。そんなことが嘘のように、いまではおまかせ状態です。とはいえ、大変助かっております。家族といっしょに住むということは、会話があるということです。毎日の出来事を食事のときに聞きながら、やっぱり一人ではない喜びを感じています。
しかし、食事の終わりごろになると「ここにお姉ちゃんがいればね~」という会話が始まります。いままで4人で暮らしていたとき、全てを残さず食べるのは長女の係でした。ここにお姉ちゃんがいればすべてが綺麗に片付くのにねえと思っているのです。そんな会話からでも、やはり家族がはなれて暮らすのは寂しい事なのです。被災地では多くの方々が家族を天に送られました。いままでそこにいてあたり前だった家族が、突然いなくなってしまう悲しみが襲っています。流されていく家族を助けることができなかったと涙を流されるおばあちゃんがおられました。言葉をかけることもできずに、一緒に涙を流すしかありません。それでも家族の話をしてくださるおばあちゃんに寄り添っています。
私たちは神様の家族です。こんなにつらい現実のなかで、家族だったらどうするか。やっぱりそこに共にいるしかできないと思います。イエス様を中心にして共にいることしかできません。しかし、共にいてくださるという存在の大きさは、いまでなければわからないと思います。被災地で開く聖書から、生かされているということを学んでいるのは私だけではないように思います。