マルコ 8:29 そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」。
私たちの礼拝では、説教・感謝の歌に続き、信仰の告白をします。これはもともと御言葉に対する応答です。
この信仰の告白とは誰になされるのでしょうか。それは神様に決まっていると思われるでしょうか。たぶんそうでしょう。しかし、神様は私達の全てを知っておられるのです。別にいちいち「信仰の表明」をしなくとも知っておられるのではないでしょうか。
この信仰の告白は、実は、私達は「かく信ず」という、共同体における信仰の一致の確認と、世界への表明という性格のほうが強いのです。むしろ、この信仰においてわれらは集い礼拝し、御言葉に生きていますという確認の宣言なのです。イエス様は「あなたは」ではなく「あなたがたは」と聞かれました。われらはこのように信じていますという告白が礼拝の中で行なわれます。
礼拝の中でも「ひとりではない」を実感するのが、信仰の告白です。わたしたちは同じキリストに救われ生かされていますとの表明は、交わりのなかでこそ生かされます。家族とともにする信仰の告白こそ、恵みに満ちた瞬間をくださるかけがえのない告白なのです。