ローマ 12:15 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。
パウロはキリスト教的生活の規範としていくつかあげています。愛すること、仕えること、希望をもつこと、祈ること等です。その中に、共に喜び、共に泣くことをすすめています。
ルーテル支援から送り出され、避難所でともに暮らしできた派遣牧師がいます。いま仮設住宅を一軒一軒まわって声をかけています。その派遣牧師が、仮設住宅を訪問していたときのことです。これまでも津波の被害や家族のことなど話していたおばあちゃんがおられたそうです。とても仲良くしてくださり、仮設支援も手伝ってくださっていました。その方が「今日はこれからどうするの?」と聞かれたそうです。牧師は「大川小学校にボランティアを案内する」と答えました。(大川小学校は、震災後の津波により校舎ごと呑みこまれ、全児童108人中、約7割に当たる74人が死亡・行方不明となりました。教師は9人が死亡、1人が行方不明になっています。)するとおばあちゃんは泣き崩れたのです。これまで笑顔で元気だった方なので牧師は驚いたそうです。おばあちゃんは泣きながら話してくださったそうです。「孫が大川小学校に通っていて津波で流された。3年生と1年生。上のお兄ちゃんは見つかったけど、下の女の子はまだみつからない。牧師さんきっとみつかるよね」と。牧師はその言葉を聞いて共に泣くことしかできなかったそうです。
パウロは「泣く人と共に泣きなさい」と教えています。いままで「共に泣いてあげる」という感覚でこれを読んでいたことに気がつきました。被災地で活動していると、共に泣くしかない状況に出会います。あまりにも悲しみが大きすぎて共に泣くしかできないのです。しかし、そのような関係を持たせてくださる中心にキリストがおられることを思いつつ、共に泣くことが必要なのだと教えられています。