マタイ 8:17 彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。
マタイ福音書には旧約聖書から多くの引用があります。本日の引用はイザヤ書53:4からです。「主の僕」が身代わりの苦しみを受けることが記されています。イエス様の十字架の意味は何かを教えるものです。その中に「負う」「担う」という言葉がでてきます。私たちの痛み苦しみをイエス様が変わって引き受けてくださるというのです。そこには私たちと共にいて、仕えてくださる姿を見るのです。
被災地には毎日、応援メッセージが届きます。旗に書かれてあったり、Tシャツに書いてあったり。その内容で一番多いものは「がんばってください」です。次は「応援しています」です。しかし、いつも思うのは、「がんばる」のはボランティアで、被災者は「おりがとう」でいいと思います。震災後から今日まで必死に生きてこられました。それは頑張りを超えていると思います。ボランティアセンターでともに働いた被災者の方は「3,4,5月の記憶がまったくない」と言われました。その1日を必死で生きてこられたのです。がんばりつくされたのです。だからこそ「がんばってください」ではない言葉が必要です。ともに寄り添っていくということも言葉です。となりびとになっていくというのも言葉です。いまは、共に生きていくことが大切だと考えています。
イエス様は「わたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」と記されています。痛み苦しむその所に共にいてくださるのです。さらに私たちの痛み苦しみを担ってくださいます。共にいてくださるだけでなく、それを超えてさらに私たちのために生きてくださるのです。言葉だけでなく、言葉を超えて仕えてくださるイエス様に感謝します。