8月も今週でおわりになります。ということは、51歳の誕生日をむかえるということですね。31日に生まれた私は、夏休みの最後の日が誕生日ということで、友達とお祝いした記憶があまりありません。ただ、小学校3年のとき、母が誕生会を計画してくれて、たくさんの友達と「ちらし寿司」を食べ、プレゼントをもらったことを思い出しました。なんと平凡で温かい記憶です。
さて、51歳の誕生日は、石巻で迎えることになりました。まさか石巻ボランティアセンターの受付に座っているとは。大震災から4ヶ月がたち、受付も午前中は多いですが午後はのんびりとしています。ただ、このような平凡と感じる生活の裏には、非日常であった日々があることを思います。なんとのんびり、なんとのどかと思っても、一歩裏道に入ると廃材が積まれ、悪臭が漂っているのです。表面上は落ち着いていても、内面はいったいどうなんているのでしょうか。
51歳の誕生日を石巻ボラセンでお祝いしてもらいながら、聞こえてくる言葉がありました。「うちの孫も来月10歳の誕生日だったのよ」と。どんな話からでも、どんな行事からでもこの震災にいきつことになります。ここはまだ被災地であり、みな痛みの中で生活しておられるのです。
今年は人生の後半戦に入ります。いままでとは違う感じがします。何が違うかは言葉にできませんが、何かが変わってきました。その時に、石巻にいることが神様の導きだと思います。今年は家族とお祝い会もできません。5月、7月の娘たちの誕生日も同じでした。しかし、今年はそれでいいのだと思います。家族は、石巻のボラセン受付にいる父を認めてくれていると信じています。ここで起きた大震災の傷跡はいやされることがないかもしれません。しかしその傷を覆っていくことのできる時間がいま必要です。少しずつでもその時間が増えていくようにと祈っています。