ルーテル学院大学・神学校のチャペル礼拝に参加しました。メッセージは気仙沼で救援活動された学生さんの証でした。涙ぐみながらの話でしたが、よい経験をされそれを学生と分かち合っている姿に心を打たれました。
礼拝が終わりチャペルの入り口にいきかけた時、一人の学生に呼びとめられました。「もしかして先生は2年前の入学式礼拝でスピーチをされましたか?」と。確かに2年前の入学式に設立母体の教会として挨拶をさせていただきました。学生さんは「あのときの話があったから無事に卒業できます」と感謝してくださったのです。特別な話ではなく、ルーテル学院大学は「ひとり」を大切にする学校で、私も大切に育てられた「ひとり」だということをお話しました。あるエピソードを交えて。
そのエピソードはその当時90歳を超えておられた岸千年先生の話でした。先生には本当に可愛がっていただき、いつも「あなたの味方だからね」と言って下さいました。まあ8年も学校にいたわけですから。かなり態度の悪い神学生でした。ふてくされて授業をさぼって部屋に寝ていることなんていつものことでした。あるとき岸先生が部屋にこられ、起こされました。そして鉄棒をしようとおっしゃったのです。それから運動場にある鉄棒の所に行き、先生は懸垂を1回されたのです。「老人の私もやろうと思えば懸垂1回はできるねえ。あなたもやればできるよ」と言われたのです。その1回の懸垂で右手の筋を痛め字が書けなくなられたのですが。「ひとり」を大切にする教育を教えられました。
学生さんも「あの老人の先生の話をきいて、私もやればできると言い聞かせてきました。途中で挫折しようと思った時も何度もありました。でも老先生の懸垂の話を思いだして勇気が与えられたのです。あの話があったから来年卒業できます」と。とても嬉しい言葉をいただきました。たしかに岸先生が私に教えてくださったことは「あきらめない」ことでした。
「神様があなたを牧師にするのだから、あきらめてはいけないよ」と。神様がなさることを信じて歩みなさいということでした。チャペルでの礼拝でまた自分の生きる道を教えていただいたように思います。あの入学式で話した言葉を神様は用いてくださったのだと感謝しました。