ヨハネ 4:14 わたしが与える水を飲む者はだれでも、いつまでも、かわくことがない。
イエス様は旅に疲れ、ヤコブの井戸の所にこられました。そこを通りかかったサマリアの女に「水を飲ませてください」と声をかけておられます。ユダヤ人がサマリヤ人に話しかけることは決してなかった時代でした。この出会いが最後には、サマリアの女から「水をください」と求められる逆転がおこります。イエス様が与える水は「永遠に至る水」であり、魂の渇きに直結するものだったのです。
釣り船をもっている友人がいます。その友人は海での体験談をよく話してくれます。あるとき海の真ん中にいたときのことでした。船のスクリューが壊れ、まったく動かなくなったことがあるそうです。まわりには船は見当たらず、自分一人そこに取り残されたといいます。真夏だったうえ、水の用意もそんなになく、ただ海上を流されたそうです。10時間後にたまたまそこをとおりかかった船に助けらました。そのとき何が一番苦しかったのかといえば、飲み水がなかったことだそうです。なんども海の水を飲もうと思ったが、それを飲むと死の危険があると知っていたそうです。陸に上がったとき水をどれくらい飲んだかわからないと教えてくれました。
イエス様は「わたしが与える水を飲む者はだれでも、いつまでも、かわくことがない」といわれました。かわくことがどんなに苦しいことかを知っておられたのです。サマリアの女の魂の渇きを満たすのは、神様のみ言葉以外にないと教えておられます。私たちの魂の渇きをいやすと思われるものはたくさんあります。しかし、本当にいやすものは一つだけなのです。
(22日までアメリカに渡航します。音声朝礼はお休みとなります)