ロマ書 3:31 わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです。
パウロはロマ書3章で「信仰による義」について語ります。また「信仰による義」としての「神の義」について語っています。神の義は律法を守ることによって与えられるのではなく、イエス・キリストを信じることによって、信じるものすべてに与えられると教えています。信仰によってということが一番大切なところです。
帯広は連日零下でした。しかし、高校生たちは短いスカートで、しかも生足で歩いていました。ファッションにかける根性でしょうか。とても微笑ましくみえました。東京に帰ってくると暑くてしかたありませんでした。ビルの中、電車の中、どれもサウナ状態のような気がしました。寒さの感覚、心地よさの感覚のズレも感じたのです。帯広の学校は冬場の適正温度は15度だとききました。外気温がマイナスだと、15度で十分暖かいのでしょう。どこに基準をおくかで、生活のありかたも変わってくるのだと思いました。
パウロは「信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立する」と言いました。律法を守ることが基準ではなく、信仰によってすべては確かなものとなるというのです。基準は神様から与えられた信仰であり、イエス・キリストから考えることだと思います。
<本日は仙台・石巻出張のため音声朝礼はお休みです>