ヨハネ 1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
ヨハネによる福音書は「初めに言葉があった」からはじまります。ナザレの人イエスこそ神様の言葉が受肉した人物であり、神様を知るには、このイエスを知ることいがいにはないと告げています。ヨハネによる福音書にはクリスマスの記事はありませんが、神様の言葉が受肉したということで降誕の出来事を書きだしています。神様の言葉に命があり、その命が御子イエスに宿る出来事こそがクリスマスです。言葉の重みを感じます。
東日本大震災救援活動現地スタッフ会議のため仙台にいってきました。また1日のばして被災地である石巻市河北・北上を訪問し、今後の支援について協議してきました。被災地では救援活動も復旧から復興へむけてすすむ中で、様々な問題がでてきているようでした。被災者間の人間関係に溝ができつつあり、それが深刻になってきているようでした。訪問の途中で大川小学校でお祈りをしてきました。そこに子供を天に送られたお母さんの手記がありました。「お父さんもお母さんも少しずつ前へ進んでいこうと思います」とありました。言葉の中にある痛み苦しみを感じ、それでも生きて行くことの深い想いを心に刻みました。受け止められないことを受け止めていこうとされる方々の言葉に命を感じたのです。
ヨハネは「この言に命があった」と告げています。クリスマスは、神様の言がイエス・キリストの誕生として成就した出来事です。神の言の中に命があり、それがイエス・キリストの中心にあります。命の宿る言が私たちを守り、祝福し、新しい希望へと導いてくれるのです。
<音声朝礼は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>