最大の寒波がきた日、宮城県石巻の仮設で「お茶っこ会」をしていました。横を流れる追波川はすでに凍っておりました。外気温はマイナス5度。寒いというのを通り越していました。仮設住宅の造りでは、この大寒波を過ごすのはとても厳しいだろうと心配しました。
仮設集会所に入り、お茶っこの用意をしました。水道は凍結防止のために水抜きがしてあります。まずは元栓をゆるめることからです。ところが、元栓をゆるめても水がでません。この日は料理も作る日でしたので、水がないと大変です。水抜きしてもどこかで凍っているなんて信じられませんでした。ところが、ちょっとはやくやってこられた仮設のおばちゃんが助けてくださいました。「あんたら寒さになれてないっぺさ。お湯っこもってくるけさ、蛇口にかけてみ」と。まさかそれだけで水がでるとは思いませんでした。しかし、なんとお湯を蛇口にかけたとたんに水が勢いよくでてきました。まるで魔法のようで、大笑いしました。
その時、ある教会で「宣教が進展しないボトルネックは何か?」という話をきいたことを思い出しました。教会における宣教の水が流れていかず、首が細くなっている問題点はどこかということでした。ここを広げれば、流れはスムースになり宣教が進展するはずだという話です。まさに凍っていて止まっているところはどこかということです。それを捜してみると面白いことがわかりました。牧師が本来の仕事をしていない?本来でない業務ばかりに時間を費やしているということでした。み言葉を読み、祈り、福音を伝えるという本来の働きができてないというのです。電話当番、建物維持管理、印刷、掃除、部屋のスケジュール管理などに多くの時間をとられていると。
確かに、教会のボトルネックはあります。いままでは少しでも流れていたのですが、どうも最近は牧師で詰まってしまっているようです。牧師が本来の働きをするために流さなければいけないものは何でしょうか。教会総会でじっくり考えてみる必要はあると思います。「あんたら慣れてないっぺさ」ではなく、慣れているからわかることがあると教えていただいたようです。