東日本大震災から1年がたちました。仙台教会ではいつも通りの主日礼拝が行われます。この日だけが特別な主日ではく、年間を通しての四旬節第3主日の礼拝をしたいという思いが教会の皆さんにありました。ただ、特別の祈りの中で全国から寄せられた祈りを、教会の祈りと一緒に奉献することになりました。被災地におられる方々にとっては、毎日が3・11でした。この日だけが特別な日ではないからこそ、教会暦の中で主日礼拝をされるのだと理解しています。
この1年多くの被災者の方々と出会ってきました。深い悲しみ苦しみにどうすることもできない人たち。何をすればいいかさえ忘れてしまったと言う方々。生きているって何だろうと聞いてこられたかたもありました。何も答えられずに、こんなにも無力な牧師でいいのかと悩むときもありました。そのたび被災者の方々から慰められてきました。「一緒にいてくれるだけでいいんだっぺ。牧師さん」と。その言葉がどんなに暖かいものだったか。奉仕するべき私たちが、奉仕されていることに気がついた瞬間でもありました。
その出会いの中で忘れられない言葉は「もうゆるしてください」という叫びです。大きな余震の中で叫ばれたこの言葉に畏れを感じました。この叫びに答える事が出来るのは、十字架につけられ共に津波に流されたイエス様だけだと。それをどのようにお伝えできるのか。それは「もうゆるしてください」に寄り添いながら、私に与えられた信仰を沈黙の中で感じていただくしかないのだと。
津波の時にイエス様はどこにおられたのか。この1年ずっと考えてきました。その答えは「もうゆるしてください」の中に見つけることができました。共に泣き、共に喜びながら、何回も共に涙をながしたボランティアには「もうゆるしてください」が語る、神様への本当の祈りが聞こえてきていると思います。なにもできなかったけれど、すべては神様がされていたことに感謝しています。津波によって天に召された多くの方々、ご遺族の方々、すべての被災者の上に神様の慰めを祈ります。