世の中些細なトラブルや、怒っている人が多くなったなと思います。ほんの少しのトラブルや、自分の意見が通らなかったりすることで怒っているのか。思い通りにならないことに腹を立てているのか。乗客同志のトラブルで、こんなに電車が止まったり遅れたりしていいのかと思います。まるで子どものケンカをみているみたいです。
先日も電車が止まりました。その原因は同じ車両に乗っている方々の喧嘩によるものでした。どうも肩から掛けているバックが座っている人の目の前にあり、何も言わずにバックを叩いたと言うことのようです。それだけのことですが、なぜ一言がなかったのでしょうか。立っている方も配慮しなければいけないと思います。しかし、何も言わずにバックを叩けば喧嘩になるはずです。二人はもみ合いの喧嘩となり、駅係員が仲裁に入られました。2人が電車から降りるまで止まったままでした。
事務局への電話でもそんなに怒鳴らなくてもと思うことがあります。怒鳴る前に落ち着いて意見をのべていただければそれでいいのですが。頭ごなしにいわれると、とても悲しくなってしまいます。説明しようにもそれもできず。一方的に言われてさらに電話をガチャンと切られてしまいました。その方のことをよく知っていましたので、なおさら情けなく悲しくなったのです。なぜ落ち着いて話すことができなかったのだろう。私の応対も悪かったのかと。ただ同じクリスチャン同志ですから。イエス様を真ん中に置いて話し合いをしたかったと。
パウロは「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」と教えています。相手のことを考える余裕が少しあれば話し合いができると思います。その余裕がないことがトラブルにつながっているのでしょう。それでもなおその余裕を見つけて行くのが、悔い改めるということなのです。