ヨハネ 20:11 マリアは墓の外に立って泣いていた。
十字架上で息を引き取られたイエス様は、安息日前に墓におさめられました。その安息日がおわり、マグダラのマリアは墓にむかいましたが、イエス様の遺体はありませんでした。復活されたのです。しかし、マリアは復活の出来事が信じられずに泣いていました。イエス様の体をだれかが取り去ったというだけでなく、再び会うことができない深い悲しみに包まれていたのだと思います。
第4回バスボランティアが無事に終わりました。6月に清掃ボランティアをした宮戸西部漁協訪問と石巻河北の仮設支援をしてきました。仮設支援では「ハーモニカ喫茶」を行い、被災者のみなさんと共に歌うことができました。しかしやっぱり「海のうたはまだ歌いたくない」という声がきかれました。胸がいたくなると。途中で涙を流されるかたも多く、「仰げば尊し」のときには2名ほど退席されました。津波で流された小学生のお孫さんが今年卒業式を迎えるはずだったそうです。歌はそれぞれの人生の中にあり、歌によって思い出されることはそれぞれに違います。しかし、まだ心の奥底にある悲しみは癒されずに3・11を迎えるのだと感じました。
復活されたイエスに会うまで、マリアは泣いていました。自分の思いをどうしてよいかわからなかったのです。泣くことしかできなかったのかもしれません。そんなマリアに「なぜ泣いているか」とイエス様は声をかけておられます。悲しみに泣く人々に「なぜ泣いているのか」と言えるお方は神様しかおられません。なぜならマリアの涙を止めることができるのは復活したイエス様だけだからです。ルーテル救援はそのイエス様の愛を携えて今日も仮設にむかっています。
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