3月14日で「銀婚式」を迎えました。結婚して25年を迎えるとは感激です。神学校卒業式の翌週に結婚式をしました。式場は思い出多き神学校のチャペルでした。式後すぐに初任地、新大久保にある東京教会に赴任したのです。まだ恵泉幼稚園が併設されていました。
25年前の東京教会は、蔦の絡まるチャペルとして有名でした。夜のない街・新宿歌舞伎町に隣接し、教会の周辺には24時間いつも人の気配がありました。朝4時に起床し、教会まわりの清掃、鶏とアヒル小屋の清掃と餌やり、大量のピンクビラ回収などが思い出です。幼稚園児の登園に間に合わせるためにはどうして4時起きでした。それを結婚したばかりの若い夫婦が、毎日せっせとやっていたのです。隣の八百屋のおじさんにほめていただきました。
それから1年後、山口県徳山市(現周南市)に転勤、長女、次女なんと三女が与えられました。自然豊かな町で、子育ての初めを過ごせたことは恵みでした。車で20分もいけば、海もあり山もありでした。家族でよく遊びにでかけたものです。最高で4つの教会・1集会所を兼務しました。すべて自然の中にある場所。なんと贅沢な環境だったでしょうか。教会の宣教に走り回ったのもこの頃です。毎週車で600キロを走っていました。徳山教会100人礼拝を最後に広島教会へ転勤しました。36歳でした。広島教会は幼稚園、保育園、ボーイスカウトを併設したビルの中の教会でした。広島教会での12年は、超高速で過ぎ去っていったような感じがします。できることしかできない。それを実感しながらもできることはなんでもした広島時代でした。たくさんの出会いがあり、充実した時代をすごしました。
こうやって振り返ると、私たちの結婚生活は教会と共にありました。家族の生活もすべて教会と共にありました。教会と共にあるということは、神様と共にあるということです。25年もの間、神様が共にいてくださり家族を祝福してくださったことを感謝します。