ヘブル 11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
ヘブル書は「信仰」とは何かを語っています。ここで、「望んでいる事柄」というのは、私たちが望んでいることではなく、私たちが望む前に神様から与えられている希望のことです。信仰とは、神様がすでに用意して下さっている希望を確信し、それを確認することです。
インドの笑い話に次のようなものがあります。旅人がサトウキビを積んだ牛車のおじさんに道を尋ねました。「ワシカ村まであとどれくらいありますか?」「そうだな、三・四十分というところだな」「そうですか。ところで、すみませんが、わたしもこの牛車に乗せてもら えませんか」「いいとも。乗りなされ」それから四十分ほどして、旅人は尋ねました。「ワシカ村まであとどれくらいありますか?」「そうだな、一時間くらいかな」旅人は怒りました。さっきは、三・四十分といったではないかと。すると 牛車のおじさんは言いました。「旅の人よ。この牛車は反対の方に進んでいるのですぞ」。自分がどこにいるか、どこに進んでいるかを確認していないと大変なことになってしまいます。神様がすでに与えて下さっている希望から遠ざかることになります。
ヘブル書は「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」と言います。いま自分たちはどこにいるか。すすむべき方向はどこか。6月には新しい執行部のもとで事務局体制がスタートします。進むべき方向の確認をきちんとした引継をしていきたいと思います。
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