マルコ 8:23 何か見えるか
イエス様は一人の目の不自由な人に手を置いて「何が見えるか」といわれました。すると彼は「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります」と答えました。この彼の答えの中に、私たちは何をみるのでしょうか。「人は木ではない。歩いている」というメッセ-ジのなかに暖かいものを感じます。イエス様の癒しによって、その人は人をみることになりました。それは自分の確認でもありました。
今週の礼拝はペンテコステ(聖霊降臨日)の礼拝でした。ある教会では今年もバラが降る礼拝をされたようです。聖霊をどのように感じることができるか。目に見える感覚でどのようにとらえることができるかを考えています。私の教会では赤い紐で結び目をつくり、みなさんにお配りしました。聖霊がイエス様と私を結んでくださっていることを知るため。私たちもすべてが結びあわされてひとつの教会になっていることの体感が目的でした。赤い紐によって見えてきたものは、私たちは神様としっかり結びあわされているということでした。
イエス様が目の不自由な人にもう一度触れられると、さらにはっきり見えるようになりました。私たちはいつもおぼろげながら物事を見ています。それは聖霊をあたかも木のように見ているかもしれません。イエス様の与えてくださる信仰という力によって、きちんと見ることができるようになります。聖霊の働きをきちんと見る週をすごしたいものです。
<今日もまた引っ越しのため音声朝礼はおやすみです。すみません>