マタイ 17:2 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。
みなさんおはようございます。あらためまして、大江教会の牧師の立野です。「大江教会朝礼拝」をはじめました。まだ、礼拝堂で行うにはもう少し時間がかかります。しばらくはネット朝礼拝にお付き合いください。
エルサレムへむかう旅の途中で、イエス様は3人の弟子をつれて高い山に登られます。その山はヘルモンかタボルは意見がわかれています。山の頂上で、イエス様が弟子たちの前で光り輝いたという記事です。神様としての本来の姿を現されたと考えられます。その瞬間「顔は太陽のように輝き」とあります。この輝くイエス様の顔は「復活の主」を表しています。イエス様は太陽のように輝く存在として、力強さとあたたかさをしめされました。
今日から大江教会に派遣されました。熊本は私の故郷です。大江教会は九州学院教会として誕生しました。その九州学院は私の母校です。神様の導きに驚いています。私と言う牧師はどんな牧師かなと見ておられるかもしれません。名前の通りに生きて行きたいと思っています。立野泰博と言う名前を自分ではこのように理解しています。「野に立ち(立野)世界(博)を平和(安泰)に導くもの」。これは勝手にそうおもっているのですが、この世界を平和にするためにどうするか。博とい字をながめてきがつきました。この文字を分解すると「(十)字架の(専)門家」となります。まさに牧師となるということでしょうか。こんな勝手な根拠なき自信をもっている私です。これからよろしくお願いします。
イエス様は私たちにとってどんな存在でしょうか。まさに「光」です。そこにおられるだけで、私たちは生きる勇気をいただけるのです。そのようなイエス様を私たちは自分のうちにいただいています。このイエス様の存在に目を向け、この方の御言葉を中心とするとき、私たちもまた「世の光」であるといえます。自分のことばかりでなく、私の内に生きておられるイエス様を宣べ伝えてまいります。
<今度は熊本引越しのため音声朝礼はお休みです。ごめんなさい>